頻尿・尿もれに対する漢方の説明と改善法
頻尿・尿もれは高齢者層に多い悩みの症状で,就寝後に頻回の排尿に煩わされ,外出時も軽度尿失禁用の紙パッドが欠かせない人は少数ではありません.若年層でも冷え性で頻尿傾向を訴える人はいますが,出産や加齢などで内臓機能の衰え,筋力の弱まりが加わると,夜間頻尿や尿もれも起こしやすくなるのでしょう.現代医学では,頻尿・多尿が特に泌尿器系の感染・炎症・腫瘍や内分泌系の機能障害などの疾患に続発する症状でなければ,尿意切迫・失禁などの排尿亢進の兆候を合わせて過活動膀胱などの診断が定義され,なぜ排尿亢進が続くのか基礎原因や背景・条件について何の説明も解釈もなく,膀胱の機能を支配する自律神経の亢進または失調を単に抑制・調節する薬が処方されることが多いのが現状です.漢方薬製剤が補助的な役割で用いられることも増えました.ここでは,漢方処方「八味地黄丸」の主要な生薬構成と後世の進化について紹介します.
頻尿・尿もれを起こす状態と基本処方「八味地黄丸」
漢方では,大自然の科学法則・原理に学んで人体の現象を分析し,現代医学より大まかな体内の仕組み・機能の解釈,生理・病理の独自の捉え方,天然生薬の作用と活用経験に基づいて,漢方流の診断・治療を組み立てます.尿の色が薄く量が多い傾向は,活動に必要なエネルギー産生を象徴する「陽」の弱まりのために体を温める力が足りない「陽虚」の要素がある兆候と考えます.特に夜間の頻尿や尿もれは「腎」の機能の衰えの兆候と考えます.「腎」は泌尿・生殖・内分泌などまで包括した,生命を支えて身体の恒常性・若さを保つ機能系を総称するので,頻尿・尿もれを起こす基礎になる体内機能の減退を,おそらく尿生成に関わる抗利尿ホルモン分泌などに相当する機能の減退も含めて,大まかに「腎」の衰えによる「陽虚」,すなわち「腎陽虚」と表すのです.
「八味地黄丸」という漢方薬は「腎陽虚」を改善するために1800年前(漢代)に考案された処方で,現代でも最も有名で,最も多く製剤化・商品化されている漢方薬です.どのように「腎陽虚」を改善していくのか,処方の生薬構成を知ることは,現代医学が参考にすべき模範にもなります.「附子」(ブシ:トリカブトの根)と「桂枝」(ケイシ:ケイの若枝)は,強烈な辛味で温熱性(温める性質)をもつ生薬の刺激で栄養素の燃焼を促進する「振奮」の効果でエネルギー産生を助けて「陽虚」を改善します.その他の6生薬の組み合わせは,後の宋代(900年前)には「六味地黄丸」と呼ばれ,原処方とは反対の「腎陰虚」を改善する基本処方になりました.
「腎陰虚」とは「腎」の衰えによる「陰虚」です.「陰虚」は「陽虚」とは反対に,人体を休養させ,エネルギーを節約して栄養分の蓄えを増やす働きを象徴する「陰」の不足です.「腎」はこの「陰」を生む機能もあり,その衰えは「陰虚」を生じ,活動のためのエネルギー産生を抑制できず,のぼせ・ほてり・寝汗などの症状を起こします.「六味地黄丸」の主薬である「地黄」(ジオウの根)は甘味で濃厚な滋養性があり,「腎」に機能の原動力を生み出す基礎物質として蓄えられている「精」の不足を補い,「陰」を生む機能を回復し「陰虚」を改善します.これが「腎陽虚」の改善を図る基盤にもなると考え,「八味地黄丸」の構成の骨格にしました.
「腎」の機能が衰えると,体内に保たれるべきものが失われやすく漏れやすい,「不固」と呼ばれる状態を伴い,このため頻尿から尿もれにつながりやすいと考えられています.「八味地黄丸」には,「不固」を抑制する生薬も配合されています.「山茱萸」(サンシュユの果実)は強い酸味と渋味が,「山薬」(サンヤク:ヤマノイモの根茎)は粘り気の強い濃厚な芋の肉質が,表面を収斂させる性質で体内の物質が外へ漏出して失われないよう守り,「不固」の抑制に役立つ薬性につながると考えられています.
「八味地黄丸」の生薬構成の進化
頻尿・尿もれを起こす基礎になる「腎陽虚」の回復のため,宋代(900年前)以降,新たに「鹿茸」(ロクジョウ:シカの幼角)のような甘味で温熱性の動物薬が効果を格段に強めることが発見され,「八味地黄丸」に「鹿茸」が配合された処方「十補丸」や,明代(400年前)にさらに洗練された加味方として「右帰丸」が考案されました.また,「附子」などの強烈な辛味の刺激で激しく鼓舞する「振奮」の効果よりも,「鹿茸」などの甘味の滋養で着実に自力を養う「培補」の効果で「腎陽虚」を回復する生薬(「補陽薬」)を重要視する配合が工夫されるようになり,現代の「腎陽虚」を回復するための漢方薬製剤の構成に受け継がれています.
「八味地黄丸」から「附子」と「桂枝」を除いて独立した,「腎陰虚」を補う「六味地黄丸」もさらに進化を遂げました.元代(700年前)に「大補陰丸」という処方に配合された「亀板」(キバン:カメの甲羅)のような動物薬には,「腎」になじみのよい鹹味(塩味)で濃厚な滋養性があり,あたかも「精」を直接「腎」に充填するかのように高効率で補充する「填精」の効果で,「腎陰虚」の回復の力強い助けになることが認められました.明代(400年前)には,さらに「腎陽虚」を補う「鹿角」(ロッカク:シカの骨質角)を配合することで相乗効果を生む「亀鹿二仙膠」が考案されました.「六味地黄丸」に「亀鹿二仙膠」を組み込んだ形が「左帰丸」です.頻尿・尿もれの症状に隠された,生命を支える根源「精」の枯渇と休養の働き「陰」の消耗の危機から救う優れた効果の「亀鹿」の加味によって進化を遂げた処方です.
「腎」の機能の衰えで頻尿から尿もれにつながる「不固」を抑制する生薬(「固渋薬」)も,「山茱萸」や「山薬」の他に多種類見出されました.宋代(900年前)に考案された「桑螵蛸散」という処方の主薬「桑螵蛸」(ソウヒョウショウ:カマキリの卵鞘)は,渋味と鹹味のある動物由来の「固渋薬」で,「腎」の衰え自体の改善にも役立ちます.この処方は,頻尿・尿もれを起こす「腎」の衰えと,動悸・不眠・多夢・健忘を起こす「心」の弱まりとの間の悪循環を適応対象にしています.「心」は脳を中心とする中枢神経と心臓を中心とする循環器を一体に捉えて,知覚・記憶・感情・思考などの精神活動を支える機能系を表し,「腎」による休養の働きで「心」は安定し,「心」のエネルギーによって「腎」が活発化する「心腎相交」という相互依存の関係にあるので,「心」が弱って不安定になって「腎」の衰えがますます悪化していく「不交」になる場合があると考えられています.「桑螵蛸散」は,「腎」の衰えによる「不固」を改善する「固渋薬」の「桑螵蛸」と,「心」を安定化する「安神薬」の「遠志」(オンジ:イトヒメハギの根)などが配合された「安固」の組み合わせで,「八味地黄丸」をさらに進化に導く処方です.
進化した漢方の知恵の現代的応用
以上のように,漢方では頻尿・尿もれを起こす基礎に「腎」の機能系の衰えがあると考えて,1800年前の「八味地黄丸」を基本処方として,より良い改善法を探求しながら,病態の本質について認識を深めてきました.尿量が多い症候から明らかな,活動のためのエネルギー産生の弱まりで元気なく体が冷えやすい「陽虚」の改善の方法が検討され,着実に自力を養う「培補」の「補陽薬」の効果を活用した改良処方の製剤が発達してきました.一方,病態に隠されている休養の仕組みの弱まりで体がほてりやすい「陰虚」にもつながる,「腎」の原動力を生み出す「精」の蓄えの枯渇を高効率で回復する「填精」の効果をもつ「亀鹿」の薬対の加味は,頻尿・尿もれの改善にとどまらず,加齢による身体の衰弱の進行を緩めるなど有益性の大きい画期的な発見でした.さらに,精神を支える「心」と生命を守る「腎」との「不交」で頻尿・尿もれが悪化するのを抑えるための「安固」の薬対は,ストレス性の精神疾患や脳の認知機能の衰えが重要な医学的課題になっている現代において,さらに活用を広げる価値があるでしょう.
現代医学は頻尿・尿もれの煩わしさを解消して日常生活の質を高めるため,症状に直接関連のある副交感神経の亢進を主に抑制して治療しようとしますが,漢方が見抜いてきた基礎にある「腎」の機能系の衰えを少しでも回復できれば,より良いこれからの人生を取り戻せると期待できるのではないでしょうか?